レーシックといえばこちら!

あなたの知らないレーシックがここにあります。昔は躊躇っていたけれども今ならレーシックもいいかな、と思えるかも知れません。

A.Nさん夫婦は、この日一泊して広島展の実行委員会のメンバーと酒を飲み、議論が盛り上がった。
広島の実行委員会は、産婦人科医の河野美代子さんを代表にして、医療関係者や学生、血友病患者などが参加していた。
その後ここに加わっていた血友病の関係者が中心になって、エイズで亡くなった仲間のメモリアルキルトを遺族たちと一緒に作った。
それが今では五枚になる。
電話相談のグループが生まれた。
カウンセリングの訓練を受けたボランティアが毎週一回、電話相談に応じている。
広島は、キルト展、がきっかけとなって、大きな展開をみせている街の一つである。
しかし実行委員会としてのスタートは一番遅く、資金集めにも苦心して、あわただしくオープンの日を迎えた。
キルトに対する心の準備や期待を語りあうゆとりもなく、実務に忙殺されているようだった。
ところが到着したメモリアルキルトを広げ、会場に展示していくにつれて、スタッフは大きな感動に包まれたという。
広島展で初めて公開されたキルトは、A.Nさんのキルトと、アメリカから着いたばかりのJ.Lのキルトだった。
J.Lのキルトは、幸福な少女のアルバムのようだった。
若い女性たちが、このキルトの前で目をまっかにしていた。
一八歳で亡くなったJ.Lは、ハッラツとした金髪の美しい少女だった。
キルトには、彼女の肖像を中心に、生まれ九時から亡くなるまでの思い出のスナップ写真が、所狭しと貼られている。
家族、友人、ボーイフレンドからどんなに愛されていたかがよくわかる。
彼女は麻薬の注射針によって感染したらしいが、高校では学生カウンセリングのリーダーとして多くの人を支えた。
メモリアルキルトには、様な感染経路によってエイズになった人たちの人生が描かれている。
数として多いのはゲイの人たちのキルトだった。
私は感染経路によって、亡くなった人への違和感や反発が生まれることはないだろうか、と気になっていた。
日本でも同性愛者への偏見はまだ強い。
血友病患者のなかにも、「ゲイの人とわれわれを一緒にしてほしくない」と言う人がいた。
エイズの番組で、ゲイのグループによる活動を並列して紹介すると、嫌がる人もいた。
しかしキルト展を見にきた市民や血友病患者からは、そのような反応はなかった。
A.Nさんは以前から、「ゲイのような少数者を差別する意識を持つたままで、血友病の感染者が受けている差別を糾弾できるのか」と言っていた。
広島や関西の実行委員会には、ゲイの男性が、ボランティアとして加わっていた。
仲間にも参加を勧めているという。
アメリカのメモリアルキルト運動は、ゲイの運動のなかから自然発生的に生まれたものだった。
ゲイヘの偏見が根強いアメリカ社会でも、「私はゲイだ」と名乗りをあげることは、勇気のいるこいたった。
一九七八年、ゲイで初めてサンフランシスコの市政執行委員に当選し、少数派の権利と差別撤廃のために闘ったハーヴェイ・ミルクが、保守派の議員に射殺されるという事件が起こった。
この暗殺された日の夜、抗議と追悼のために四万五〇〇〇人が、ロウソクを掲げてデモをした。
一九八七年にこのデモが行われ九時、エイズで亡くなった人の名前が書かれたプラカードを持った人が、初めて現われたという。
ゲイであるばかりでなく、エイズで死んだということは、隠しておくものという風潮が強いなかで、公然と名前が出てきたのである。
これを見たゲイの活動家で、自身もHIV感染者のクリーヴージョーンズは、「この病気は社会から隠し、闇に葬るのではなく、記録することが必要だ。
特に名前を記録する必要がある」と感じた。
そして彼のパートナーがエイズで亡くなった時、その名前を縫い込んだキルトを作り、「エイズ≒プロジェクト」を設立したのだった。
エイズという病気とともに、同性愛者がしっかりと立ち現われてきた、という印象を、私は強く持った。
少なくとも、私に関して言えば、そうだった。
AIDSと命名される前、この病気が“ゲイ症候群、“ゲイ癌”と呼ばれることすらあったアメリカでは、患者・感染者への支援活動や予防キャンペーン、行政の取り組みを求める政治運動などは、ゲイの人によって担われてきた。
現在でもアメリカのエイズ患者の六割強は、同性愛者と両性愛者が占めている。
新しい病気と闘うだけでなく、同性愛への差別や偏見とも闘わなければならなかったのがアメリカの感染者たった。
エイズがゲイに多発したことは、政府やマスコミ、医療界の無関心を生んだ。
「エイズに感染するのは天罰であり、罪深き者たちだ」という社会の偏見は、エイズパニックをひきおこし、初期におけるエイズ対策を決定的に遅らせることになった。
『サンフランシスコークロニクル』の記者、R.Sは、一九八二年当時のことを、「ゲイでない者が〔エイズで〕死なないと、ニュースにならなかった」と書いている。
また初期において「ゲイの活発な性行動かエイズの感染を拡大させている」という研究者の指摘は、ゲイ解放運動に水をさすものだ、としてゲイ社会から省みられなかったことも、エイズ予防への取り組みを遅らせた。
一九六〇年代後半から始まったゲイ解放運動は、七〇年代にサンフランシスコを中心として社会的、政治的な地位を確立した。
同時に乱交が容認されるバスハウスやセックスハウスが産業としても栄えた。
ゲイは比較的多くの相手と性交渉をもつ傾向があった。
そこがHIVの直撃を受け、感染者の急増をまねくことになった。
DC(アメリカ国立防疫センター)の調査で明らかになったが、これはゲイの活発な性行動の極端な一面を示している。
美貌のカナダ人スチュアートのDは、一九八四年三月に死ぬまでの一〇年間に、アメリカ各地で年平均二五〇人の男性と性交渉を持ったと推定されている。
八二年四月一一日までにアメリカで発病した二四八人のゲイのうち、少なくとも四〇人は、Dが二次感染もしくは三次感染させた男たちだった。
ゲイ社会がエイズによる犠牲者を多数生み出しだのは、不運なことであった。
しかしだからといって、同性愛を。
天罰”のように裁く権利が誰にあるのだろうか。
サンフランシスコのゲイのカウンセラーは、ゲイヘの保守派や宗教家のヒステリックな反応に対して、「わたしの神は復讐の神ではない」と論陣を張った。
宗教の悪用の中でも特に悪辣なのが、同胞に対する憎しみを正当化するために使うことです」CDCのエイズ対策室研究室長、D.Fは、エイズは神の罰ではないか、と自分を追いつめて悩むゲイのエイズ患者に、「これは伝染病なのです。
あなたは伝染病にかかったのです。
あなたが神に罰せられたためではなく、これはウイルスが起こしている病気なのです」と諭している。
エイズのように、治療法が確立されていない性病の蔓延を防ぐには、感染した人への差別や排除はまったくの逆効果となる。
人類が体験してきた各種の疫病の歴史は、差別や法規制、隔離による排除によっては決してその蔓延をくいとめられないことを示している。
ひとつのモラルや価値判断で特定の人を断罪し切り捨てる社会が、どのような恐怖と残酷さに満ちるかということは、中世の暗黒時代やファシズムの時代など、これまでの歴史をふりかえれば明らかである。
エイズの蔓延を防止するためには、患者・感染者が安心して闘病できる社会環境を整えることと、新たな感染を防ぐための予防教育に尽きる。

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